Casio CASIO-MINI CM-605
1974年4月にカシオ計算機が定価8,900円で販売した中置記法の四則演算電卓で、かの有名なカシオミニの6代目である。
本機は中置記法の電卓なので、働き出してRPN電卓ユーザとなった現在の管理人には中置記法の電卓が使えなくなる能力が身に付いてしまい使い難いことこの上ないが、このWebサイトでは再三指摘している通り、電卓という製品に触れる際は避けて通れない歴史的名機であるため、番外として記載する。
四則演算に何の問題は無い。ただし、演算結果が表示されるまでのタイムラグとして、加減算はほぼ無いが、乗除算はたとえ乗数や除数が1
であっても全桁の蛍光表示管が0.2〜0.3秒ほど点滅した後となる。消費電力を抑えるためにワンチップLSIのクロック周波数を切り下げた[1]が故の挙動で、現代の四則演算のみの電卓では見られないが旧い電卓では間々見られたもので、管理人は懐かしく思い出した。
電卓戦争が産み出した化け物
1960年代後半から1970年代中盤にかけて、日本国内では電卓の開発・製造・販売が最盛期を迎えた。1991年7月28日にNHK総合テレビで放送された『電子立国 日本の自叙伝 第4回 電卓戦争』に依れば、大・中・小・零細合わせて、一時は50社を越える企業が参入していたという。
コモディティ化した製品に関する資本主義経済下での企業間競争は、最終的に「価格」で勝敗が決まる——50社も参入したことで売り場に溢れた四則演算のみの電卓は瞬く間にコモディティ化してしまい、やがて猛烈な値下げ競争に突入した。後に電卓戦争と呼ばれるこの競争は、技術力と資本力が尽きた企業から順に敗者となり、電卓事業から撤退させられると同時に膨大な額の負債を残した。先の番組でも東京電子応用研究所社長だった小平均氏が「電卓戦争の敗者は悲惨でした」と語っている。
この戦争が産み出した化け物がカシオミニである。
この、あまりに苛烈な電卓戦争を勝ち残るべく、四則演算のみの電卓を企業(エンタープライズ)ではなく個人(コンシューマ)にまで普及させる〝電卓のパーソナル化〟戦略を採ったカシオ計算機は、『電卓を個人に買ってもらうには、1台の価格は1万円だ』と考え、販売価格からスペックを逆算した電卓の開発を決める。初代の開発に着手した1971年時点でのLSI実装技術も鑑みて、
- 6桁の加減算、最大12桁の乗除算
- 小数点の演算なし
- ワンチップMOS LSIで実装
- パネルスイッチの採用
- 単3電池で10時間連続使用できる
- 想定原価4,500円程度
と、これまで当たり前のように「四則演算のみの電卓=小数点付き8桁」だったスペックを覆し、徹底的に低価格化を志向した。その後のカシオミニシリーズでは小数点の演算は実装されるようになったものの、原価と連続使用時間以外はこのスペックを踏襲した。先述の通り本機は6代目にあたるが、マニュアルに依ると、単3電池での連続使用時間がマンガン電池で25時間、アルカリ電池で50時間まで伸びている。これは演算回路の性能とpMOS LSI実装技術の向上がもたらしたものだ。
さりとて、マニュアルや本体背面の銘版によれば、本機の消費電力は0.18Wとある。専用ACアダプタの出力電圧は4.5Vなので、消費電流は蛍光表示管を含む全体で40mAとなるが、現代から観ると電池だけで駆動するのが不安になるほど大電流である。電卓専用に洗練し切った演算回路を極小のLSIに焼き付け、液晶ディスプレイを採用することで、100mm2程度の太陽電池だけで駆動できる現代の四則演算のみの電卓は、外部からは計測不能なほど消費電力が少ない(μWオーダ)ので、まさに雲泥の差である。
加算器方式から中置記法へ
カシオミニの影響で触れなければならないことに「中置記法の普及」がある。
序説でも記載したように、カシオミニも初代と2代目は加算器方式だったが、〝電卓のパーソナル化〟を目指したカシオ計算機は中置記法への移行を決断、3代目から中置記法へ移行している。6代目である本機も当然ながら中置記法で、マニュアルにわざわざ『数式通りの操作ができる』と記載していることから、当時はまだ加算器方式と中置記法の電卓が家庭内でも混在していたことと、中置記法を採用したこと自体がアピールポイントになっていることが判る。
本機はある日、管理人が何とはなしに国内のオークションサイトを眺めていたところ、日焼けもなく手垢も付いてない、ほぼ新品の完動品が、化粧箱・マニュアル・保証書(無記名)・携帯用ビニルケース(未使用)の一式がすべて揃い、かつ、当時は別売だった専用ACアダプタ(AD-4145)も附属しているにもかかわらず、非常に低価格で出品されていたのを発見したため、その場で落札した。
どうやら前のオーナは本機に1度も電池を入れずACアダプタだけで使用していたらしく、電池ボックスが蓋も含め極めて綺麗で、接点には腐食どころか電池を出し入れすれば必ず付くはずの擦過痕すら無い。本機が発売された1974年の平均月給は115,200円だそうなので、本機の定価が8,900円だったことを考えると、大切に使用するためにこのような選択をしたようだ。HP-25のようにACアダプタだけで使用すると必ず故障してしまう訳ではなく、マニュアルにもACアダプタだけで使用できることは明記されているため、この選択は正しい。この選択が、製造から40年以上経過した本機のコンディションを良好な状態に維持させたのだろう。大概は碌なものしか出品されない国内のオークションサイトでも極く稀にこのような掘り出し物に巡り合うため、なかなか侮れない。
なお、本機について「と表示する」という情報があるが、管理人の手許にある機体(シリアル番号:5126124)では、被除数が を含むすべてのゼロ除算で、最初の6桁は000000
が、下位桁呼び戻しキー を押下し続けると、被除数を左詰めで表示し最下位桁から1ずつ加算する[2]様子が表示されるため、本機の製造途中でワンチップLSIが更新されている可能性がある。
下記に本機のマニュアル1ページから規格を転載する。一部に誤記がある(…と:が混在している)が、そのままとしている。
- 型式
- ミニ CM-605
- 計算機能
- 加減算、乗算、除算、連乗連除算、小数点付計算、自動定数計算(四則)、負数計算および混合計算
- 計算桁数
- 表示6桁、加減算6桁±6桁=整数部最大7桁、小数部含み最大12桁、乗算6桁×6桁=最大12桁、除算6桁÷6桁=有効数字6桁
- 計算方式
- 数式通りの操作ができる
整数部優先アンダーフロー方式 - 小数点方式
- 完全浮動小数点方式
- 負数表示
- 最上桁または最下桁にマイナスサイン付の真数表示
- オーバーフローチェック方式
- 答え表示後 演算停止
- 表示
- 緑の蛍光表示管使用
- 主要素子
- ワンチップLSI
- 電源
- AC…専用ACアダプター使用 100V±10V
DC:単3型乾電池4本 連続使用時間 高性能マンガン乾電池で約25時間 アルカル乾電池で約50時間(ただし、表示8888、温度約20℃にて) - 消費電力
- 0.18W
- 使用温度
- 0℃〜40℃
- 外型寸法
- 幅147×奥行72×高さ30mm
- 重さ
- 222g(本体162g・電池60g)
- 付属品
- 携帯用ケース、高性能マンガン乾電池4本
- 別売品
- 専用ACアダプター AD-4145(価格1,200円)
脚注
- ↑ 恐らく10kHz近辺だと思われる
- ↑ たとえば円周率 の概数をゼロ除算させるべく を本機で演算すると、最初の6桁は
000000
が、 を押下し続けると被除数から小数点を省いた を左詰めで嵌め込んだ314000
に対して高速で1ずつ加算している様子が、それぞれ表示される。この挙動を止めるにはオールクリアキー を押下せねばならず、裏を返せば、 を押下するまで延々と1加算を続けるため、意図なくゼロ除算を実行したまま本機を放置するとバッテリを無駄に消費することになる。
よって、ゼロのゼロ除算である を本機で演算すると、最初の6桁は000000
が、 を押下し続けると000000
に対して高速で1ずつ加算している様子が、それぞれ表示されることになる。
試しに、本機の除算できる範囲の上限値をゼロ除算する、即ち を本機で演算すると、最初の6桁は000001
が、 を押下し続けると000000
に対して高速で1ずつ加算している様子が、それぞれ表示される。これは、冒頭のゼロ除算例から容易に推定できる通り、 に対して1ずつ加算するため、すぐ繰り上がり となることから、最初の6桁を表示する時点で000001
を表示することになるからだ。
なお、なぜゼロ除算時にこのような挙動となるか、その理由は不明である。除算は減算の繰り返しなので、百歩譲って「1ずつ減算し続ける」なら、納得できるかは別として、理解はできそうなのだが。