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HP-10C/HP-11C/HP-15C

提供: Memorandum

外装はまったく同じだが用途毎に内蔵されている関数が異なるHP-10Cシリーズのうち、科学・数学向けプログラム関数電卓の3機種。実装された関数や機能の数から、HP-10Cは初級、HP-11Cは中級、HP-15Cは上級と格付けされる。チップセットの開発時のコードネームからVoyagerシリーズとも呼ばれる。販売が開始された順番はHP-11C(1981年9月1日)→HP-15C(1982年7月1日)→HP-10C(1982年9月2日)だが、販売が終了した順番はHP-10C(1984年3月1日)→HP-11C/HP-15C(1989年1月1日)と、HP-10Cだけ製品寿命が極端に短い[1]

William Kahanによる演算アルゴリズム設計

HP-35でも記したとおり、世界初のポケット関数電卓で、HPはリコールを実施するという痛い経験をした。発売前に十分な品質保証出荷試験を実施したと思っていたものの、演算アルゴリズムの一部にバグを内包したROMをフィールドに出荷してしまったからだ。リコール対象は約25,000台と膨大だったが、これに応じたのは5,000台程度に留まったことで、HPの損失が想定より大幅に少なく済んだのは幸いであった。購入したユーザも“解っている”マニアだった故の僥倖であろう。

当然、HPはこの件を重く受け止めており、再発防止とバグ撲滅のため、演算アルゴリズムの抜本的な改良に着手する。1974年、HPはカナダの数学者で計算機科学者のWilliam Kahanをコンサルタントとして招聘、共同で演算アルゴリズムを大幅に見直した。この経験からKahanは、1976年にIntelの全製品群の浮動小数点算術の仕様設計のために共同研究者として招かれたり、同時並行で1977年から浮動小数点算術に関するIEEE標準であるIEEE 754をアーキテクト代表として策定したりと、電卓を含むコンピュータの数値演算を極力[2]高精度に実行できる実装に尽力した。現在では「浮動小数点数の父」と呼ばれている。

このKahanが演算アルゴリズムの設計と附属マニュアルの執筆に関わったのがHP-10Cシリーズである。半導体技術の進歩と価格の下落を受け、HP-35をはじめとするClassicシリーズやHP-25をはじめとするWoodstockシリーズと較べて大容量のROMが実装できるようになったVoyagerシリーズは、演算アルゴリズムをこれらより精緻に組み上げられるようになり、Kahanも納得の出来となったのだろう。この事実が「HPの関数電卓は信頼性が高い」と評価するユーザを産んでおり、関数電卓ではHPを指名買いする者が多々居る。

異例の3機種展開

機種毎に実装の有無がある関数や機能
HP-10C HP-11C HP-15C
双曲線関数
ガンマ関数
順列と組合せ
乱数の生成
%変換
複素数/行列の演算
方程式の求根
数値積分
最大プログラムステップ数 79 203 448

Voyagerシリーズとして最初に同時発売されたHP-11CとHP-12Cは、幅128mm×奥行80mm×高さ15mmと非常に小型かつ横型という斬新なデザインの筐体、10桁液晶ディスプレイを採用したことでバッテリの長寿命化に成功[3]し充電器を不要としたことで非常に好評であった。ただ、科学・数学向け関数電卓であるHP-11Cに実装された関数や機能が、先発機種のHP-34Cより少ないことについては若干のクレームが出たようで、それへ応えることと、かつ、「HP-41Cでオプションソフトウェアとして売られている機能や関数が欲しい」という需要から、僅か10ヶ月後に、HP-34CHP-41Cのオプションソフトウェアとして販売されていた関数や機能を実装した改良版であるHP-15Cを、HP-11Cと同価格である135ドルで発売、現在でも再販が望まれるほどのベストセラーとなった。しかし、その2ヶ月後、実装する関数を大幅に減らすことで価格を抑える主旨で発売されたHP-10Cはほぼ売れなかった。これは単純に、HPの関数電卓を求める購買層がHP-10Cの機能では満足しなかったことと、HP-10Cに実装された機能と販売価格(80ドル)が釣り合っておらず、まだまだ高価だったからである。

これら3機種は実装された関数の大小により、HP-11CとHP-15Cはシフトキーが 𝐟 𝐠 の2段構えだが、HP-10Cは 𝐟 のみである。右の比較表にあるとおり、HP-15CはHP-34Cに実装された関数や機能の他に、複素数を扱え、標準偏差や行列(最大で64成分。実数では8次の正方行列、複素数では4次の正方行列)も演算できるという高機能っぷりとは裏腹にHP-34Cより低価格とあって、非常によく売れた。HP-41CXを含むHP-41シリーズではオプションソフトウェアであるアプリケーションパックを購入せねばならないガンマ関数・行列・複素数に関する演算が単体で実行できるうえ、胸ポケットに入る小型筐体だからである。この点はRPN電卓マニアの間でも議論されており、用途に依っては本機を最高傑作と評する者も居る。そして、HP-10Cが価格の割にはあまりに低機能だった(ため売れなかった)ことも判る。

このような経緯のため、eBayをはじめとする中古市場やオークションサイトに出品される数としては、HP-15Cが圧倒的に多く、次いでHP-11C、HP-10Cはごく稀にしか見掛けない。共通するのは、いずれの機種も良品が出品されるのは稀で、出品されたとしても、外装が傷だらけだったりエンブレムが剥れていたり異常に汚かったり液晶ディスプレイが液漏れしていたりと、何かと難があるものが殆どで、美品は極めて少ない。管理人はHP-15Cを5台所有しているものの、HP-10CとHP-11Cは2台ずつしか所有していない。

HP-15Cの後継機種は1988年10月31日発売のHP-42Sだが、1988年いっぱいで販売終了の本機とは異なる階層化メニュー形式の操作体系や筐体の巨大化が嫌われたからか、製造停止から30年以上経つ現在も、本機の製造復活を求める声が止まない[4]。ハッキリ言ってしまえば、現在HPが販売している現行の(RPNではない)関数電卓よりも使い勝手が良く、操作が簡単であるにもかかわらず、多彩かつ高機能でプログラミングも可能な本機は、拡張性を考慮せず単体で使用する関数電卓の最高峰と断言して構わないのではなかろうか。

tan355226 [rad]=7507225.705 (εR=1.33×103)

(ln884736744π)2=42.99999997

スタック 3+1段
プロセッサクロック周波数 220kHz (Voyager 1LF5-0301)
使用電池 LR44×3個
製造期間 HP-10C 1982年〜1984年
HP-11C 1981年〜1989年
HP-15C 1982年〜1989年
製造国 アメリカ
1982年発売時の定価 HP-10C 80ドル (約20,000円)
HP-11C 135ドル (約33,750円)
HP-15C 135ドル (約33,750円)

脚注

  1. HP-10Cの製品寿命(1年6ヶ月)はHP製電卓史上最短である
  2. 元来、コンピュータによる数値演算で正確な結果を得ることは不可能であるところに、「精度を上げるために演算アルゴリズムを拡充しても、その浮動小数点数演算を正しく行うコストを見積るのは不可能である」と考察したのもKahanである。即ち、「数値演算では丸めによる誤差が必ず出るのだから、用途に応じた適切な精度で演算を打ち切らなければならない。さもないと永遠に演算が終わらないか、際限なく演算アルゴリズムが肥大化する」と諫めたもので、『テーブルメーカーのジレンマ』とも呼ばれる。
  3. HP-10Cシリーズはプロセッサの待機電流が10nA程度であることやプロセッサクロック周波数が220kHzと低いことも相俟って消費電力が0.25mW程度に収まるため〝前回交換した時期を忘れる〟ほど長寿命となる。RPN電卓マニアからの報告では「オリジナル(購入時に動作確認用として附属していた)電池が34年未交換。しかもまだ稼働中」というのが最長である。
  4. 復活販売の要望を受けたHPは、2011年9月1日、製造台数を絞ったうえで、本機の復刻版であるHP-15C Limited Editionを99ドルで発売した。日本では、HP日本法人が電卓事業から撤退した後だったため株式会社ジュライが代理店となり10,900円で発売することが告知され、当初は争奪戦が繰り広げられるほど入手困難であった。しかし、復刻版の実態が、開発や製造を中国に丸投げしたODM製品であるどころか、マイクロプロセッサはARM(AT91SAM7L128-AU)で、内部ではVoyagerプロセッサをソフトウェアエミュレーションで実行させる動作形式という、2008年以降のHP-12Cと同じ動作仕様に変更された、本機とはまったくの別物であるうえ、「キーボードのボタンがガタつき、グラグラ動く」「一部のキーが無反応」「ある操作でバッテリが異常消耗」など、凡そ本機とは較べものにならない低品質なパチモン以下のゴミであることが判明。購入者を「思ってたのと違う」「コレジャナイ」と奈落の底に突き落とすと共に、21世紀のHPには技術的な困難が殆ど無いであろう30年前に設計されたRPN関数電卓の製造品質を管理する能力すら喪失していたことを知らしめ、結果的に、本機の中古相場を更に高騰させるに至った。勿論、代理店であるジュライからHPにこれらの状態や事象をクレームとして上げたようだが、それが受け容れられ改善されたか否かは不明である。管理人の手許には発注から4ヶ月後の2012年正月に届いたものの、その間に次々詳らかになるこれら惨状に急速に興味が失せてしまい、特製らしい箱の封すら切らず放置しているからである。