Casio fx-7000GA

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1990年〜1991年にカシオ計算機が販売した中置記法のグラフィックプログラム関数電卓。1985年にカシオが世界で初めて電卓にグラフを描画する「グラフ機能」を実装したグラフィックプログラム関数電卓fx-70000Gの改良版である。グラフを描画するため16桁8行の英数字とグラフが表示できる96×64画素のドットマトリクス液晶ディスプレイを備える。

本機は中置記法の電卓なので、働き出してRPN電卓ユーザとなった現在の管理人には中置記法の電卓が使えなくなる能力が身に付いてしまい使い難いことこの上ないが、管理人が15歳のときに「最後の誕生日プレゼント」として購入した思い出深い機種であり、現在でも完動品を附属マニュアルともども大事に保管しているため、番外として記載する。

関数電卓に纏わる追憶と記憶

「関数電卓」というものが世の中に存在することは、かなり早くから知っていた。物心が付く前からいくつかが自宅の居間に転がっていたからだ。管理人の父は包装機械を製造する企業の機械工だったが、設計図面で曲線が指定された部品を旋盤から削り出すターニング(旋削加工)では最適な曲線を描くために三角関数が必須であることから、商売道具として日常的に関数電卓を使い倒していた。しかし、いくら拭ったとて拭い切れない機械油が付着した手で使うからか、金属粉が舞う工場内で使うからか、4〜5年で故障してしまう。そのため父は、めぼしい関数電卓が発売される度に購入するのだが、勤務先で使い勝手が合わなかった機種は自宅に持ち帰り、居間に放り出した。その結果、管理人は幼いころから「常に身近に関数電卓がある」という特異な生育環境に置かれることとなり、物心が付いてからは自動車のナンバープレートに刻まれた数字に「これ幾つ?」と何度も両親に尋ね(当人である管理人にはまったく記憶が無い)、関数電卓を玩具代わりに弄ぶようになるが、それを父が咎めることも無かった。そう考えると、管理人と関数電卓の関わりは40年以上になる。三つ子の魂百までと言うが、こうしてRPN関数電卓を蒐集・比較するようになった己を省みると、血は争えないと思う。なお、管理人が大学を卒業し働き始めて3年目の年に定年退職した父は、金属製の山型工具箱とそれ一杯に詰め込まれた工具と自作の治具、そして、機械油で鍛えられたカシオ計算機製の関数電卓2台を勤務先から持ち帰っている。

小学生のころは関数キーに印字された暗号のような文字列の意味を理解できなかったため、適当に数字を入れては関数キーを叩いて数字を変化させて遊ぶに過ぎず、特に、適当な数値(非負の数)に対して開平  を連続して押下すると1.に収束していく[1]様子を不思議に思いつつ面白がっていたが、中学生になり数学の授業で習う内容が関数電卓に実装された関数や機能に近づくにつれて関数キーの意味が徐々に理解でき始め、関数キーを押した後の数字の変化が関数を適用した演算結果なのだと漸く理解することになる。

そんな管理人が生まれ育った地方都市の駅南に伸びる商店街のアーケード入口脇に構えたその文房具店はマニアックな品揃えで有名で、ノートや万年筆や地球儀や世界地図など、いわゆる文房具は店の出入口付近に並べられていたが、ちょっと奥に進むと、価格が熟れて一般家庭にも普及し始めた日本語ワードプロセッサや欧文電動タイプライタ、工業高校生が授業で使うポケットコンピュータ(ポケコン)、店舗で使うキャッシュレジスタなど、小中学生が嬉々とするガジェットが整然と並び、レタリングや製図用品に関しては近隣の市町からも購入客が来るという面白いところだった。当初は2階も店舗だったが、新しもの好きの店主により徐々に在庫置き場と化していき、ある日突然、店内にある階段から先は店員以外立入禁止となった。小学校高学年になり自分専用の自転車を手に入れた管理人の休日は、その商店街にある、近隣の市町では最大規模の書店で面白そうな本や雑誌を物色した後、この文房具店の奥で動態展示されている様々なガジェットを弄り倒すというのがゴールデンルートであった。特に日曜日の午前中は父が必ずNHK将棋講座NHK杯テレビ将棋トーナメントを視聴するため居間に1台しかないテレビを占有しておりファミコンもできず、将棋を解さない管理人の暇を潰すのに最適のルーティーンだったのだ。

この店では電卓が、四則演算のみの単機能のものから多機能関数電卓まで、外装の化粧箱ごとビニル袋に入れられ、立っている大人と視点が合う上のほうに単機能や低価格のものが、下に行くほど多機能や高価格のものが、カシオのロゴが大書された4段の回転棚に吊り下げられていた。あまりに苛烈だった電卓戦争を生き残るため、カシオは電卓の販路として日本中の文房具店を開拓しており、回転棚はその名残りである。

その最下段に吊り下げられた本機を見つけたのは中学2年の終わり、1990年3月頃である。定価14,800円のところ、その店での売価は約34%引となる前年に導入された消費税3%込みで9,800円だった。これまで自宅で触っていた関数電卓は7セグ液晶に数字しか表示できないのに、本機の化粧箱には誇らしげに正弦曲線の表示例とともに"GRAPHIC"とある。

「高ぇなぁ。でもグラフが出せるのかぁ。面白そうだなぁ。誕生日なら買えるかもなぁ」

それから毎週末、その文房具店に行っては真っ先に本機が売れてないことを確認する作業が続いたが、幸いなこと(?)に、管理人の誕生日が過ぎるのを待ってくれた。そしてこのとき「来年から高校だし、大学には行きたいけど、自分が行ける大学が私立だとすると両親に迷惑を掛けるのは間違いない。『誕生日プレゼント』などという子供じみたイベントは、今回で最後だ」そう決心した。パートから帰って来た母に「何か欲しいものあるの?」と訊かれたときも「食いものとか要らない。その代わり1万円だけちょうだい。自分で買ってくるから。あとは要らないよ」と答えたのを昨日のことのように覚えている。こうして購入した本機のマニュアル最終ページにある保証書の購入日欄には店主により『平成295日』と殴り書きされた。この日は平日(水曜日)だが、「もし売れちゃってたら悔いしか残らん!」と件の文房具店へ自転車を飛ばしたのだ。

購入後は嬉しさで興奮し、はやる気持ちでマニュアルを読み進め、なにはなくともグラフを描画させることにした。最初は簡単な式に見えた単位円 のグラフだ。中学3年の管理人は円を示す方程式があることすら知らなかったのでまずそれに驚きつつも、本機の仕様上、先ほどの式をについて解いた式を入力しなければならないことは中学3年でも理解できたため、ちょうど数学の授業で習ったばかりの平方根[2]を駆使して と開平した式を慎重に入力し  キーを押下すると、描画速度は想像以上に遅かったものの、ドットマトリクス液晶ディスプレイに描かれた原点を中心とする真円に「おぉ〜!」と声が出るほど感動した。その後も、数学の授業で見る直線しかないグラフ[3]ではなく、「三角関数の合成」や「2次以上の高次方程式」など滑らかな曲線を描く表示例を優先して入力しまくった。結局その晩は徹夜してマニュアルに記載されているすべてのプログラム例を入力・実行したのは言うまでもない。

半年後に高校生となると、本機は思わぬ大活躍をする。本機は、当時の高校数学の基礎解析で習う指数関数/対数関数/三角関数、代数・幾何で習う円/楕円/放物線/双曲線、微分・積分で習う2次以上の高次方程式のグラフを描画でき、それをトレースできるので、数学や物理で出される宿題の答え合わせに好適だったうえ、なんでもかんでも丁寧な解法と正答が掲載されている現代とは違い、当時の受験対策問題集は式や値の最終結果だけを略解として載せるのみで、余程特殊なものでなければグラフは「略」とされ掲載されなかったため、予備校や塾には面倒で行かなかった管理人は、自分の解答の正否を、本機で得られた演算結果と問題集の略解を突き合せて確認する他なかったからだ。当時、週9時限あった数学の授業で出された宿題は授業開始前に筆算過程も含め板書させられ、授業開始後の答え合わせと解説の際、高次方程式のグラフを描く問題に当たった生徒には担当の数学教師がニヤニヤしながら「これホントに合ってるかぁ?」と鎌を掛けるのだが、管理人は事前に本機で自分の解答が正答であることを自宅で確認できていた[4]ので、臆することなく満面に笑みを湛えて「合ってまーす」と答えていたのだから世話はない。我ながら嫌な生徒である。現代の高校の数学教師であれば、筆算過程は無理でもグラフであればWebで誰でも正答が確認できることを把握しているだろうが、30年以上前の高校数学教師が、グラフィック関数電卓でグラフの正否が確認できることを把握していたかは微妙だ。「生徒がグラフを描くには己の数学力しか頼れないはず[5]」という認識だからこそ、生徒に鎌を掛けて反応を見ていたのだろうし…。尤も、通学用デイバッグのポケットには3年間を通して本機とマニュアルを常に仕込んでいたものの、授業中を含め教室で取り出すことは無く、活躍の場は専ら自宅だった。現役で私立理系単科大学に滑り込めた理由の半分は本機のお陰だと思っている(残りの半分は「運」)。

なお、この地方都市に複数あった百貨店の1つは、国内でも数少ない、YHPの正規代理店でもあった。金銭面さえ許せば高級雑貨売場でHP製RPN関数電卓を購入したのかもしれないが、それを知ったのは大学進学で1994年3月下旬に都内へ上京した後の話である。その百貨店も2013年1月31日に閉店し、跡地は2014年7月7日によしもとの常設劇場となった。もし現在の管理人が中学3年の管理人にこの事実を伝えたとしても、その馬鹿面した中3男子は「嘘つけ」と信じないだろう。その後も百貨店の閉店は続き、2019年11月18日には市内からすべての百貨店が消え、本機を購入した文房具店も2020年10月9日に閉店したが、これらを伝えた場合はどう反応するだろうか…世界最速で進む日本の少子化高齢化が原因の少産多死型人口転換による人口急減社会を目の前に、時の流れは残酷である。

選択できる幸せ——低価格か高機能か、中置記法かRPNか

本機は112関数を内蔵し、カシオが独自に開発したBASE-nという言語体系でプログラミングを実行でき、内蔵している37,463バイトのメモリに格納できるが、同時期に発売されたHP-48SXと比較すると見劣りする。内蔵した関数が、売価がなので当然といえばそれまでだが、この差はユーザの資力や用途で明確に分けられていたと考えるべきだろう。HP-48SXでは微分・積分の演算や代数式の整理が内蔵関数として実装され単体で実行できるが、本機にはそのような機能は無いのでユーザの数学力に頼るかプログラムを組む[6]ことになる。低価格でもグラフ機能が必要であれば本機を、すべてを関数電卓に任せたければ高機能のHP-48SXを、どちらか選択できた時代だったのだ。更に言えば、この頃はまだ、中置記法かRPNかを選択できたのだ。そういう意味では関数電卓にとって、PCが爆発的に普及する直前にあたる1990年は、世界中のメーカから様々な機種が発売され百花繚乱の絶頂期だったのかもしれない。

演算精度はHP製RPN関数電卓に勝るとも劣らない。本機のマニュアル末尾に仕様として「計算範囲:、および 内部演算は仮数部13桁を使用」と明記されている通り、マイクロプロセッサの演算性能よりソフトウェアが実行できる演算範囲を狭める(余裕を持たせる)ことで演算結果に正確性を持たせる手法を採っているため、HP-28Sと同様、でもでも3.を出力する。ベンチマークと蛇足

を出力し、マイクロプロセッサにSaturnを採用したHP製RPN関数電卓と遜色ない。

恐らく本機を中古で購入することはできないと思われる。ネットは広大だが本機に関する情報は非常に少なく、なぜかヨーロッパ発よく見つかる。RAMには三洋電機製CMOSスタティックメモリ(8ビット長で2048ワード=16,384バイト)・LC3518BML-15が、入力と表示にはNEC製マイクロコントローラ・D3050Gが、それぞれ採用されており、RAMが8ビット長なのでマイクロプロセッサのアーキテクチャも8ビットだと思われるが詳細は不明[7]だ。

下記に本機のマニュアル204〜205ページから仕様を転載する。


形式
fx-7000GA
演算部
基本演算機能
負数・指数・カッコを含む四則演算(加減・乗除の優先順位判別機能つき)
組込関数機能
三角・逆三角関数(角度単位は度・ラジアン・グラッド)、双曲・逆双曲線関数、対数・指数関数、逆数、階乗、開平、立方根、べき乗、べき乗根、2乗、10進↔60進、2進・8進・16進計算、座標変換、、乱数、絶対値、整数部除去、小数部除去
統計計算機能
標準偏差=データ数、総和、2乗和、平均、標準偏差(2種類)
直線回帰=データ数、の総和、の総和、の2乗和、の2乗和、の平均、の平均、の標準偏差(2種類)、の標準偏差(2種類)、定数項、回帰係数、相関係数、の推定値、の推定値
メモリー
標準26メモリー(最大78メモリー)
計算範囲
、および 、内部演算は仮数部13桁を使用
小数点方式
浮動方式(工学浮動小数、指定小数、有効桁数表示切替可)
四捨五入
有効桁数指定または小数点以下桁数指定による四捨五入
プログラム部
ステップ数
最大422ステップ(〜6ステップ)
ジャンプ機能
無条件ジャンプ(Goto)最大10対
条件ジャンプ()
カウントジャンプ(Isz、Dsz)
サブルーチン(Prog)最大9組、深さ(レベル)10段(入力用バッファを含む)
組込プログラム数
最大10組(P0〜P9)
チェック機能
プログラムのチェック、デバッグ、削除、追加等
グラフィック機能
組込関数グラフ
(20種類)
グラフ命令
Graph、Range、Plot、Trace、Factor、Line、X↔Y
グラフの種類
任意の関数グラフ、統計グラフ(棒グラフ、折れ線グラフ、正規分布曲線、回帰直線)
共通部
表示方式および内容
液晶表示、仮数部10桁、指数部2桁、2進・8進・16進数表示可、60進数表示可
文字表示機能
関数命令表示、プログラム命令表示、アルファベット表示等を最大128文字表示
エラーチェック機能
以上および計算不能、ジャンプ等不能をチェック、"ERROR"表示
電源
リチウム電池(CR-2032) 3個使用
消費電力
0.04W
電池寿命
CR-2032で約100時間(初期画面にて連続放置時)
オートパワーオフ
操作完了後約6分で自動電源オフ
使用温度
0℃〜40℃
大きさ・重さ
幅83.6奥行167.3厚さ13.7mm、152g(電池込み)
付属品
ソフトケース

脚注

  1. 即ち、ふつうの関数電卓の演算可能範囲である実数における において、 かつ を満たすを定数とし、区間 2次元ユークリッド空間のグラフを描画すると、 の場合は 漸近線とする分数関数(有理関数)に似た曲線を描く。例えば のときはこのような曲線となる。 の場合は 漸近線とする放物線の一部に似た曲線を描く。例えば のときはこのような曲線を描く。いずれの場合も 漸近線に持つため、が大きくなる=  を押下する度に演算結果である1.に近づく。
    なお、定数を「 かつ を満たす」即ち「以外の、非負の」に限定する理由は、
    • 演算範囲がのときの指数関数や対数関数では、であるが負の場合を定義していない。仮に定義して演算しても、その解は、ふつうの関数電卓が演算できない複素数となる
    • の冪乗 は、羃指数 のとき 定数関数 となる
    • の冪乗 は、羃指数 のとき 定数関数 となる
    ため、場合分け(今回の場合は除外)する必要があるからだ。∎
    以上は管理人が高校1年の終わりに理解できた内容である。
    ちなみに、先述の通り となるが、数学として統一した定義ができていない(代数学組合せ論では「と定義できて演算可能」とするが、解析学では「定義できないのでどのような値にすることもできない」とする)ため、 の羃指数の条件に をわざわざ指定している。これを理由に、関数電卓で を演算した結果は、ベンダや機種で異なる。HP製でRPLを採用している機種では「と定義できて演算可能」と扱い1.を出力するが、HP製でRPLを採用していない機種やカシオ製の本機では「定義できない」と扱いErrorを出力し演算できない。コンピュータプログラミング言語では「と定義できて演算可能」と扱っている場合が多いが、その理由は、その言語の開発者の数学的な発露ではなく、そう処理したほうが演算エラー(Invalid Error)が少なく済むという消極的なものだろう。RPLを採用したHP製関数電卓で1.を出力するのはそのためだと考えられる。
    当時の学習指導要領では2年次で履修することになっていた基礎解析の範囲だが、凡そ30年以上前の、大学進学を前提とした地方の公立高校では、当然のように「3年間のカリキュラムを2年間で終わらせ、3年次の授業はすべて大学受験対策に充てる」教育課程を設定しており、管理人が通っていた高校も数学科は1年次3学期末時点で数学Iと基礎解析の『数列』単元以外すべて終えていた。1年次で履修する数学Iと基礎解析の『数列』以外は内容が一部で被るため、被る箇所は基礎解析の教科書を使うことでカリキュラムを圧縮したのだ。同様に、本来は3年次で履修する微分・積分も基礎解析と一部で被るため、基礎解析の『数列』を終えた2年次1学期後半から、被る箇所は微分・積分の教科書を使うことで圧縮した。これらとまったく独立している代数・幾何は圧縮できないため、すべての単元を2年次1〜2学期で終えたものの、確率・統計は『場合の数』と『確率』の2単元しか扱わず2週間で終わった。30年前の理系大学入試では確率・統計から出題されることが稀で、出題されてもその範囲は事実上この2単元のみに絞られていたからだ。数学科に限らず他教科でも同じ手法で3年間のカリキュラムを2年間で完走させていたが、後年、このような圧縮は学校教育法施行規則の学習指導要領に反するため高等学校の卒業要件を満たさないと問題となった。尤も、実態として、現在これが遵守されているかは知らない。
  2. 「平方根 の意味と解法」は中学3年1学期に学んだ
  3. 中学3年1学期を終えた時点では、当時の学習指導要領では中学数学の最難関でありグラフが曲線を描く「2次関数 とそのグラフ」(有理数)は未習だった。
  4. 己の細やかな名誉のために記載すると、誤っていたことはほぼ無かった。高校数学の微分・積分は機械的に微分できる範囲にあり、判別式から極大値・極小値を得られ、これら変曲点前後が上に凸下に凸かも自動的に決まるため、増減表が正確に書ければ、単純な高次方程式のグラフ化では誤りようがないからだ。管理人は証明問題での誤りが多かったが、これは関数電卓で解ける訳もなく、数学力が物を言う。受験数学でいう数学力とは、この部分を指すのだろう。
  5. パーソナルコンピュータ(PC)があればできたのは言うまでもないが、当時PCを所有していた同級生は少なく、PCを立ち上げても排熱ファンが爆音だったため真夜中の受験勉強中には躊躇われた。しかも、アルバイトが校則で禁止された高校に通う1990年代前半の高校生にはプログラミング言語のコンパイラは異常に高価で誰も持っておらず、標準添付されたN88-日本語BASIC(86)のソースコードを書きインタプリタを通してグラフを描画させるのが精一杯だったが、このプログラミングは軽く1〜2時間を消費するため、宿題や受験勉強の片手間にやるようなものではなかった。そういう意味でも当時は本機の存在意義が非常に大きかった。
    なお、管理人は父と「(大学進学を前提とした)公立高校に入れたらPCを買う」と約束、辛うじて遵守できたため、中学を卒えた1991年3月、地元のPCショップが組んだ、当時まだ珍しい32ビットCPUを実装したPC-9801DS2一式/Brother製A3横対応カラードットインパクトプリンタ/MS-DOS Ver.5.0/一太郎dash/パソコンデスクのセットを消費税込み498,000円で購入しており、1995年の秋(大学2年前期終了時)まで丸4年半使用した。大学を卒え働き始めた後年、父から「あの時はクルマを買い替えるカネを切り崩した」と聞かされたが、子供との口約束を反故にせず履行した父は素晴しいと思っている。
  6. 本機のマニュアル142〜143ページには「シンプソン法による定積分」というタイトルのプログラム例がライブラリとして記載されている。総ステップ数は125。仕様にある通り、本機は最大で422ステップまでしか記憶できないため、シンプソン法をプログラムするだけで⅓を消費することになる。中高生だった管理人は「余程複雑な式でもない限り、定積分なら筆算のほうが速いから、筆算が面倒なことをさせるプログラムにステップ数を割り当てたい」と考えており、当時、電池を入れ替える度に必ず入れていたプログラムは、同じくマニュアルにライブラリとしてプログラム例が記載されていた「素因数分解」(145ステップ)と「最大公約数(ユークリッドの互除法)」(90ステップ)であった。
  7. 世界初のグラフィックプログラム関数電卓であり本機の先代にあたるfx-7000Gについては比較的情報があり開腹した写真も公開されているが、型名がシルク印刷されているLSIとして、NEC製の8ビットマイクロプロセッサ・µPD1007(クロック周波数910kHz)と、東芝製の16,384バイト(8ビットで2,048ワード)CMOSスタティックRAM・TC5518CFL-20が見えている。見えてない箇所には日立製のLCDドライバ・HD44351が2個使用されているため、合計4個が実装されていることになる。本機はfx-7000Gの改良版で、RAMの容量も同じであるため、マイクロプロセッサも同等程度のものが採用されていると想像される。
    すべてのLSIで機能毎に異なる日本企業の半導体が選ばれていることに隔世の感があるが、当時それぞれのベンダが得意としていた分野(機能)を冷静に見切って発注・採用しているあたりは流石カシオである。NECはIntelとほぼ同時期にマイクロプロセッサを開発、後にIntel 8080のコンパチであるμCOM-80を製造するなどマイクロプロセッサに一日の長があり、東芝はNAND型フラッシュメモリを独自開発するなどメモリが優勢、日立は半導体事業の設立当初からカスタムLSIの受託製造が柱で、それまでカシオも数多くの電卓用IC/LSIを発注していた間柄である。