HP-48SX

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1990年3月16日〜1993年6月1日に販売された科学・数学向けRPL上級グラフィックプログラム関数電卓。コードネームはCharlemagne (カール大帝)。HPでは4機種目[1]の、ディスプレイにグラフを描画できる機種である。型名にXが付いていることから判るように、本機背面にはソフトウェアや拡張メモリ(補助記憶機構)を装着できる拡張カードスロット[2]を2口装備している。1991年4月2日には後発の兄弟機種として拡張カードスロットが無いHP-48Sも発売された。この2機種にHP-48GX/HP-48G/HP-48G+の3機種を加えた計5機種でHP-48シリーズを構成し、すべてでRPL(と階層化メニュー)を採用している。

もはや「関数電卓」ではなく「数値演算専用コンピュータ」

ハードウェアとソフトウェアは、様々な意味で議論を巻き起こしたHP-28CHP-28Sが直接の祖先となるものの、実装された機能からは、HP-41CXを含むHP-41シリーズの後継機種として開発されたことが判る。RPLを採用したため本機のOwner's Manualは全457ページのVol.1と全395ページのVol.2に二分冊(後に合冊)される程度に分厚く、全貌を把握するには骨が折れるが、合冊版では末尾にAppendix FとしてComparing the HP 48 and HP 41 (HP-48とHP-41の比較)が14ページ追記され、本機とHP-41シリーズの共通点と差異を、主にプログラミングの面から説明している。その理由は、RPLを採用した本機を含むHP-48シリーズでは、HP-42Sと異なり、HP-41シリーズのプログラムを直接流用できないからだ。11年5ヶ月も販売され続けたことで膨大な数となったHP-41シリーズのユーザから同様の問合せが多数あったことを窺わせるが、この追記には、HPが目論んでいたであろう「HP-28CHP-28Sによる、既存ユーザのSaturnプロセッサファミリへの移行」が失敗したこと対する、HP-41シリーズユーザへの贖罪も含まれている気がしてならない。即ち、HP-41シリーズのユーザの殆どはHP-28CHP-28Sを購入しなかったため碌にハックされず、ユーザコミュニティでもHP-41シリーズからの移行方法等が話題にならかったようで、HPはこの2機種を失敗作と断じたのだろう。

その失敗作に届いたクレームを反映した結果、本機を含むHP-48シリーズでは、筐体は従来からのストレート型(幅81mm×奥行180mm×高さ29mm)に戻され、ドットマトリクス液晶ディスプレイは倍となる22桁8行まで拡大し、外部接続インタフェースとして有線シリアル通信ポートが追加され、物理キーは49個に減らされたにもかかわらず比較的高頻度に使用するであろう三角関数    、開平  、冪乗  、逆数  には独立した物理キーが復活した。マイクロプロセッサは引き続きSaturnだが、クロック周波数は関数電卓とは思えぬ2MHzまでクロックアップし、単4電池3本を装着した質量は295gと肥大化したものの、こういった強化により、HP-28CHP-28Sで致命的な弱点として指摘された「外部とのデータやプログラムの授受手段」が複数用意され、拡張カードスロットには拡張メモリであるRAMカードの他、HP-41シリーズ同様、HPやサードパーティから多種多様に発売されたソフトウェアを装着できる点は、HP-41シリーズを意識している証左である。

本機では、四則演算や三角関数/逆三角関数/指数関数/対数関数/冪乗/羃根/逆数は当然として、階乗/ガンマ関数/双曲線関数/ルートソルバ/数値積分/行列式/複素数の扱い/平均/標準偏差/順列・組合せ/線形回帰と推定/正規分布/乱数発生などなど、凡そ現代数学で真値もしくは近似値の求解を迫られるであろう関数や機能を2,100個以上内蔵し、かつ、これらについてグラフを描画できるようにした。数値積分を演算させるべく数式を入力すれば、大型化されたドットマトリクス液晶ディスプレイの特性を生かしてインテグラルを使用した見慣れた定積分の式がそのまま表示されるギミックには感動すらしたようだ。本機のOwner's Manual Vol.1の冒頭ではDiscovering the Power of the HP 48 (HP-48の威力を知る)という節を設け[3]、架空の企業が実地試験から得たという廃棄プラスティックから原油を生成する速度のモデル式 について、には実地試験から得られる定数を代入することで時間を変数とする関数と見做しで積分することで、生成される原油の量 を演算、速度と量を縦軸に、時間を横軸に取って1画面でグラフを描かせ、その曲線をカーソルでトレースしつつ、「ユーザが指定した量を生成するには、どの程度の時間が必要か」や「ユーザが指定した時間では、どの程度の量の原油が生成されるか」等を確認する一連の手順をスクリーンショット付きのチュートリアルで示しているが、1990年3月発売で、単4乾電池3本で駆動する可搬型RPN関数電卓が、内蔵関数だけ(=単体)でここまでできることを示したこの内容は、管理人のように高校で物理微分・積分を取っていれば平易に理解できる演算内容ながら「もっと難しい、解くのが面倒な式を食わせてみたい!」と思わせる複雑さも包含しており、購入者に本機の威力を解らせるには十分過ぎるインパクトである。

しかし、内蔵関数が4桁ともなると、使用頻度が高い関数や機能を物理キーへの割り当てに苦労することになり、シフトキーはHP-34C以来の右  左  アルファベット  の3段構えとなった。例えば常用対数  と自然対数  はそれぞれ   と   が割り当てられている。使用頻度が低い関数や機能には物理キーが割り当てられてないため、これらを呼び出すには相変わらず階層化メニューを辿らねばならない。例えばを演算するには、HP-42S同様、本機も階乗関数は確率 PROB メニュー配下にあるため、    PROB  !  と階層を下ることで、演算結果である5.17346099264E499を得られる。なお、この結果にを乗じる(即ちを演算させる)と算術オーバーフローするため9.99999999999E499が表示され、数学的な真値の近似値であるは得られない。尤も、アルファベットの入力が階層化されてないだけでもHP-42Sよりマシである。  とアルファベットシフトキーを連打すると英字大文字入力モード、続けて   で英字小文字入力モード、再度   と押下すれば英字大文字入力モードに戻れる。いずれかのモードに入れば、HP-41シリーズと同様にアルファベットを連続して入力できるので、RPLのソースコードを書く際の苛々は大幅に低減された。アルファベット入力モードから抜けるには  を1回押下すれば良いことも含め、この挙動はHP-41シリーズを見習ったのだろうが、本機単体でソースコードを書く場面を考えれば至極当然の作り込みである。アルファベットを1文字入力するためにいちいち階層化メニューを辿らねばならないHP-42Sが異常なのだ。

結果として本機は、HP-28CHP-28Sと比較するのも烏滸がましい、RPN関数電卓の範疇を超えた「数値演算専用コンピュータ」といった趣で仕上がった。RPLを採用したため数式の数値化に   (本機でも  キー)を実行する一手間が必要だったり、不便極まりない階層化メニューが採用されていることは残念なものの、有線シリアル通信インタフェースが設けられたことでユーザがRPLのソースコードを書く手段が本機の階層化メニューだけに限られず、ユーザが持つ有線シリアル通信インタフェース付き端末で書いてから本機へ流し込めるようになったことで、ソースコードの長短でユーザが入力手段を使い分けられる逃げ道が用意された恰好となり、購入者にも納得感があったようだ。それでも、本機を単体で使い熟す場合は、階層化メニューをすべて記憶するか、別売で全504ページのReference Manualを傍らに首っ引きしなければならないことに変わりは無いのだが。

ラストチャンス

本機が発売された1990年初頭はIBM PC互換機(DOS/V機)によるPCの価格破壊が起きる直前にあたり、現代のようにオープンソースによるOSや数値解析プログラミング言語のコンパイラが気軽に入手できる訳もなく、それよりなにより一般ユーザがインターネットに接続できる環境が整ってなかった[4]ため国内・海外問わずネットワーク越しに演算リソースを借りることもできず、個人所有のパーソナルコンピュータで本機に実装された関数と同等の演算をするのは至難の業であった。

よって、HPが意図的に狙ったかは不明なものの、発売時期が絶妙だった本機は良く売れた。関数電卓にとってのラストチャンスを見事に攫んだと言って良い。結果論だが、真っ当に売れた最後のRPN関数電卓は本機である。ライバルであるTIが同時期に発売したTI-81より高機能かつ高性能だったことも本機の販売台数を押し上げた。

が、本機もHP-41シリーズと同じ運命を辿る。あまりに有用であったが故にHPの想定を超えた使い込まれ方が続出、「内蔵メモリもCPUクロックも足りない!」という指摘を多数受けることになったのだ。その指摘からHPが出した答えが、1993年6月1日に発売したHP-48GXである。

スタック 無制限 (内蔵メモリが許すまで)
プロセッサクロック周波数 2MHz (Clarke 1LT8)
使用電池 単4形×3本
製造期間 1990年〜1993年
製造国 シンガポール
1990年発売時の定価 350ドル (約50,750円)

脚注

  1. 初はHP-28CHP-28S、その後にHP-42Sが続くが、液晶ディスプレイの大きさが、HP-28CHP-28Sは4行、HP-42Sは2行しか無いため、単体でグラフを描画しても実用的とは言えず、実装されている赤外線インタフェースとHP 82240A/HP 82240Bを経由して感熱ロール紙に印刷して視認することが事実上の前提であった。
  2. セイコーエプソン(当時)が開発した40ピンインタフェース規格をHPが独自に変更したもの。カードの大きさはPCMCIA(当時。1993年に「PCカード」と改称)と同じ幅54.0mm×奥行85.6mmだが、高さはType 1の3.3mmより低い2.45mmである。
  3. 本機の後継機種であるHP-48GXのUser's Guideには、このような購入者を掻き立てる演算例は無く、六法全書のように淡々と使用方法の記載が続くため、読んでも面白くない。HPは「ページ数も激増したし、HP-48GXは本機の購入者しか買わないだろうから、この種の演算例は要らんだろ」と考えたのだろうか。勿体無いことである。
  4. 世界初の商用ISPは1989年にPSINetが、日本国内初の商用ISPは1992年11月にAT&T Jensが、それぞれサービスを開始している。