HP-45/HP-46

提供:Memorandum

< RPN電卓一覧へ戻る

1973年5月1日〜1976年1月15日に販売されたClassicシリーズの科学・数学向けRPN関数電卓で、HP-35の改良版である。HP-45は可搬型、HP-46は机上設置型だが、マイクロプロセッサと実装された関数はまったく同じ[1]である。HP-35の爆発的なヒットから電卓市場へ本格参入することを決めたHPは、多機種を同時並行で開発するに当たり、これらを社内で識別するためのコードネームを付与するようになり、HP-45/HP-46はWizard (魔法使い)である。この伝統はHPが2001年末に電卓市場から撤退するまで続いた。

シフトキーによる機能倍増

HP-45/HP-46は、初めて関数電卓にシフトキー  を実装することで、各キーに割り当てる機能を倍増させ、HP-35ではROMの容量から見送られたもののユーザから要望が多かった機能や関数を追加した。三角関数や逆三角関数で弧度法  やグラード(フランス度)  が使用できるようになり、数値の表示に科学表示(いわゆる〝SCIモード〟)が追加され、表示する桁数も選択できるようになった。以降のHP製RPN関数電卓ではすべて実装されている、最後にスタックXに積まれた数値を呼び出す  も実装された。関数としては、直交座標系極座標系の変換 🡆R 🡆P 、10進法での分秒の変換 🡆D.MS D.MS🡆 、10の羃乗  、階乗  、百分率  、百分率変化率  、総和  から平均と標準偏差  といった関数が追加された。10の羃乗  が実装されたことで、冪乗は  に改められた。オマケ機能として度量衡換算関数が実装されており、キログラム⇔ポントの変換  、センチメートル⇔インチの変換  、リットル⇔ガロンの変換  も演算できる。プログラミング機能は無く、スタックやRAMに記憶した内容は電源OFFで全て消失する。実装したRAMは10スタック分=560ビット=70バイトしか無い。

可搬型のHP-45はHP-35と較べると機能は大幅に改良されているが、外形はHP-35の金型を流用しているため殆ど変わらない。キーの配色は指垢による汚れが目立たなぬよう青色系から灰色系に変更されたが、キーの数は35個で同じ、専用充電池とACアダプタはHP-35と共通なので、ユーザやセラーが別売で購入する保守部材としての型番も変わらない。即ち、変わったのはROMだけで、そういう意味でもHP-45を解析する理由はほぼ無い。強いて言えば、マニュアルには未記載だがユーザが発見した、試作のROMから削除し忘れそのまま出荷されたことでイースターエッグ扱いとなっている「タイマー機能」[2]は面白いが、HP-45は水晶発振子等による正確なクロック源を実装していない[3]ため精確な計時は期待できない。ただ、タイマー機能がユーザに好評だったことを知ったHPが、Classicシリーズの最後の機種であるHP-55でクロック源として水晶発振子を実装して正式な機能として売り出す切っ掛けにはなり、その後の機種でも「タイマー(とカレンダー)」は標準機能として実装されるようになる。なお、本機向けの演算事例集「HP-45 applications book」が10ドルで別売されており、数学・統計・金融・技術・航法支援の事例が掲載されている。

HP-45はeBayをはじめとするオークションサイトへの出品も少なく、管理人は後述するHP-46と比較するためだけに1台所有しているに過ぎない。

唯一の変態機種

ここで仔細に採り上げるべきは、机上設置型のHP-46である。先述した通り、実装された機能や関数はHP-45とまったく同じ[1]だが、そんなことは差し措いて、HP-46の特長として真っ先に挙げねばならないのが数値の表示が機械式プリンタによる普通ロール紙への2色印字による出力のみ7セグLEDによる数値の表示は別売の純正ドーターボードによる有償オプションだったことである。このような形態のHP製電卓は、HP-46と、世界初の金融・財務向けRPNポケット関数電卓であるHP-80の機能と関数を強化した机上設置型であるHP-81が唯一である。

それまでHPが販売してきた関数電卓では、可搬型だろうと机上設置型だろうと「7セグLEDによる数値の表示」は至極当然の機能として一律に実装しており、現代の感覚でふつうに考えると、敢えて外す理由が解らない。なぜこのような机上設置型のHP-46(とHP-81)を開発・製造したのだろうか?

その理由は、「関数電卓がイノベータからアーリーアダプタに普及し始めたこと」と「HP-46の発売が1973年であること」、そして「HP-46が机上設置型であること」から想像できる。

HP-46(とHP-81)が発売された1973年5月は、一般市民が個人で気軽にコンピュータを所有できる時代では無く、ましてや、演算過程や結果をコンピュータから直接紙に打ち出して検算することなど不可能であった。また、机上設置型電卓の一般的な使用形態は、個人が専有するものではなく、複数人が共有するものであった。HP-35の予想だにしなかった売れ行きから、高精度な演算結果が得られる科学・数学向け関数電卓に需要があるのは確かだ。しかし、それまでHPが発売していた机上設置型電卓は演算過程も結果も7セグLEDで表示するだけなので、検算や記録のためには、演算させる度に、表示された数値をひとつひとつ書き写さねばならず、そこで時間を食ったり転写ミスしたりと、そもそも面倒な作業だ…であるなら、複数人で共有することが多い机上設置型電卓では、演算過程も演算結果も含め最初から全て紙に打ち出すようにして、7セグLEDは無くても良いのではないか? その分の販売価格を抑えられるし良いアイディアかもしれない!

恐らくこのような思考過程から産まれたのがHP-46(とHP-81)である。

しかもこのときHPが採用したプリンタは、同じ1973年にキヤノンが発売した金融機関向け加算器方式電卓・MP1215で採用し、その後のHPでも主流となる、感熱紙に熱転写ヘッドを押し当てて印字するサーマルプリンタではなく、普通紙に金属製の活字をインクリボンの上から叩き付けて印字するタイプライタと同様の機械式プリンタある。

HP-46(とHP-81)の開発に着手した時点では既に商用に耐える程度には実用化されていた、小型化と軽量化と省電力に勝るサーマルプリンタ[4]を敢えて避け、大きく重く電力を食うことを承知で機械式プリンタをわざわざ採用したのは、サーマルプリンタと較べて機械式プリンタが唯一勝る「印字結果が明瞭で、経時劣化による印字内容の消失が無い」ことを優先したからだろう。この時期の机上設置型電卓は複数人で共有する使用形態が多く、個人が自席に戻り演算過程や結果を確認するまでに時間が開いたり複数回確認する場面があることが容易に想定できるため、「印字後に放置すると印字内容が消える」という致命的な欠点を持つサーマルプリンタの採用は見送られたのだろう。

なお、HP-46(とHP-81)で採用した機械式プリンタは日本製である。信州精器(現セイコーエプソン)が製造・納入したModel-102がそれで、印字する字種を絞り小型化するため、活版活字は金属製のドラムに巻き付けられ、それをモータで回転させて印字する活字を選択、上からアームで叩きつける形式としだが、それでも質量の肥大化は避けられず、この機械式プリンタ部だけで1.48kgある。本体全体で5.98kgなので、機械式プリンタ部だけで全質量の25%を占めている。なお、この機械式プリンタの同機種やマイナーチェンジした変種は他の電卓メーカでも採用されており、当時は比較的良く見掛けるものではあった。このこともあってか、HP製RPN電卓では珍しく、消耗品である普通ロール紙(2インチ¼幅)と2色インクリボンに「HP純正品だけを使え」といった指定が無い。マニュアルでは、普通ロール紙は「HP純正品でも良いけど、汎用の2インチ¼幅の加算器電卓用ロール紙が使えます」と説明、2色インクリボンはHP純正品を云々という記載すらなく「『General Ribbon社製E200シリーズ』もしくは『Columbia Ribbon社製43シリーズ』の汎用2色インクリボンが使えます」と事務用品ベンダが販売する互換品を紹介するに至り、それぞれ交換手順とともに図示されている。管理人は、現在でも入手できるGeneral Ribbon社のE201-BRをアメリカから購入している[5]

尤も、「数値の表示が『機械式プリンタへの印字のみ』というのは流石に…」と営業部門やマーケティング部門からクレームでも入ったのか、純正オプションとして、数値を7セグLEDにも表示する「A5ドーターボード(00046-69541)」、通称『OPTION 001』が用意され、100ドル(約26,500円)で同時に別売された。『OPTION 001』はHP-45に実装した7セグLEDモジュール/アノードドライバIC/カソードドライバICを流用して設計されているが、7セグLEDモジュールの左側には赤色LEDが1個実装されている。このLEDはBUSY(処理中)のときだけ概ね1〜2秒点灯する。『OPTION 001』を購入しない場合、そのスロットにはBUSY赤色LEDを1個だけ実装した「A4ファザーボード(00046-69540)」を装着して納品した[6]。本体価格が695ドル(約184,200円)なので結構割高なオプションとなるが、理由と時期は不明なものの、本体価格が715ドルに値上げされた記録も残されているため、『OPTION 001』はさほど売れなかったのかもしれない。ただ、HP-46には電源がONであることを示すパイロットランプが無いため、『OPTION 001』を購入しないと、パッと見でHP-46の電源が入れっ放しか否かが解らず不便なのは確かだ。その代わり、HP-46は電源を入れると機械式プリンタの活字ドラムが常時回転し続けるため、その回転音が結構耳につく。管理人もこの音は想定外だったが、気になるユーザは居ると思われる。「『OPTION 001』が無くても、電源が入っていることは、活字ドラムの回転音で判るだろう」ということなのだろうか。それとて、機械式プリンタ部だけ電源を切る  を押下すれば止まるのだが…。

HP-45と同様、本機向けの演算事例集「HP-46 sample applications」も5ドルで別売されており、電子工学・機械工学・構造工学・医学・測量について掲載されている。HP-45向け演算事例集で採用しているのが数学・統計・金融・航法支援であることを考えると、それぞれの機種でHPが想定している使用場面として、HP-46は屋内で落ち着いて演算、その結果を共有するものを、HP-45は外出先で演算し、その結果は個人で使用するものを、それぞれ選別していることが判る。

管理人が所有するHP-46は、ただでさえeBayをはじめとするオークションサイトへの出品数が極めて少ないなかで初めて見た、『OPTION 001』を装着した完動品が1台だけである。メカニカルキーの打鍵感が素晴しく、印字に際しては如何に少ない文字種で関数を表現するかに腐心した痕跡が見て取れるうえ、負数はわざわざ赤インクで印字するという配慮も心憎く、演算精度も現在の凡百な関数電卓と較べて遜色無く常用に十分堪えるため、個人的にはHP-41CXに次いで使用頻度が高い。メカニカルな動作を含め、非常に面白い機種である。

HP-46によるベンチマークと蛇足の演算過程と結果の印字出力例

スタック 3+1段
プロセッサクロック周波数 200kHz (Classic)
使用電池 HP-45 HP 82001A/B (3.6V 450mAh/900mAh 充電池:中身は単3形Ni-Cd充電池×3個直列)
HP-46 なし (商用電力で駆動)
製造期間 1973年〜1976年
製造国 HP-45 アメリカ → シンガポール
HP-46 アメリカ
1973年発売当時の定価 HP-45 395ドル (約104,700円)
HP-46 本 体 695ドル (約184,200円)
OPTION 001 100ドル (約26,500円)

脚注

  1. 1.0 1.1 基板に実装したROM(ソフトウェア)の中身としては、HP-45ではイースターエッグ扱いの「タイマー機能」を削除し、それで空けた容量に、HP-46では最重要の「プリンタ機能」を実装しているという差分はあるが、HP-45の「タイマー機能」はマニュアル未記載であるため、マニュアルに記載した(HPが公式に使用を認めた)機能や関数はまったく同じである。なお、マイクロプロセッサは、科学・数学向けのHP-35/HP-45/HP-46/HP-55の4機種、金融・財務向けのHP-70/HP-80/HP-81の3機種、計7機種に足掛け5年間、まったく同じものが実装され続けた。マイクロプロセッサとしての基本的なアーキテクチャが優れていたこともあるのだろうが、この場合は「ROM(ソフトウェア)さえ差し替えれば、関数電卓の機能を向上させたり、まったく別物に変えることができる好例」と捉えるべきだろう。尤も、この考えを社外にも広く公開することでパーソナルコンピュータ界の覇権を握れたのがIntelで、社内での流用に留めたために一時的とはいえ電卓事業からの撤退を強いられたのがHPとも言えるのだが。
  2. 押下後    を同時に押下することで「タイマー機能」が起動する。 を押下する度に計時の開始と停止を繰り返す。計時中に  〜  を押下すると、押下した時点の経過時間(スプリットタイム)を記憶、計時停止後に  〜  を押下すると経過時間(スプリットタイム)を呼び出せる。 を押下すると「タイマー機能」が終了し、7セグLEDには時間が表示されたままとなる。ENTER を押下しても「タイマー機能」は終了するが、7セグLEDの表示はクリアされる。
    HP-55では動作モード選択スイッチを[TIMER]に倒すと「タイマー機能」が起動、 を押下する度に計時を開始/停止する。計時中に  〜  を押下すると、押下した時点の経過時間(スプリットタイム)を記憶、計時停止後に  〜  を押下すると経過時間(スプリットタイム)を呼び出せのるは同じだが、10進法での度⇔分秒の変換 🡆D.MS D.MS🡆 を噛ますことでスプリットタイム同士の加減算も実行できる。
  3. HP-45を開腹し、基板の然るべき箇所に784kHzの水晶発振子を半田付けすることで、タイマーを精確にするハックが出回っている。eBayをはじめとするオークションサイトにも、この改造を施したものが出品されることがある。電卓も歴としたコンピュータだが、関数電卓程度の回路規模とクロック周波数であれば、一般的に、正確な周波数を発振できて高価な水晶発振子が実装されることは無く、製造過程に依り発振する周波数が上下するものの安価なクロックドライバICやマイクロプロセッサ自身に内蔵されたクロック発振回路がクロックパルスを発振し周辺チップを同期駆動させている。ClassicシリーズではクロックドライバIC(パーツ番号はHP-45では1820-1128、HP-46では1820-1127)が実装されている。
  4. 世界で初めて電卓の回路をフルIC化したのはテキサス・インスツルメンツ(TI)だが、同時に、世界で初めて表示部にサーマルプリンタを発明・採用した。1965年9月、当時のTIの社長であるPatrick Haggertyは、TIの半導体研究部門のトップでICを発明したJack Kilbyに「電池で動き、ポケットに入る電卓の開発」を社長権限で命じ、Kilbyは自身が最も信頼していたJerry Merrymanに設計を委ね、開発チームを組織した。1年半後の1967年3月29日に完成した試作機“Cal Tech”は小型化のため必然的にフルIC電卓となったが、ここで試作したICはバイポーラ型で、かつ、集積度が低く(直径1インチ(約25.4mm)の円形ウェハにバイポーラトランジスタを384個作り込むのが限界)、それを入力/記憶/演算/印字で4個も使用するため、演算時はもとより待機時も消費電力が大きく、充電式バッテリをすぐ空にすることが判る。そのため、表示部には待機時も使用(表示)時も可能な限り電力を消費しないものが希求され、結果として、印字時しか電力を消費しないサーマルプリンタが発明されることになる。実装したサーマルプリンタは幅½インチ(約6.4mm)程度の感熱ロール紙へ印字する超小型のもので、プリンタヘッドが消費する電力も極限まで下げている。このとき開発された同型のサーマルプリンタは1970年にキヤノンがポケット電卓で採用している。ちなみに、MOS型ICと7セグLEDが製品化され市場に流通するのは1970年代に入ってからである。
    しかし、この試作機が改修され世に出ることはなかった。幅4インチ¼(約108mm)・奥行6インチ⅛(約156mm)・高さ1インチ¾(約44.5mm)・重さ45オンス(約1.28kg)と、可搬ではあるもののポケットには入らない大きさに仕上がった試作機を見たHaggertyから「これじゃポケットに入らん! もっと小さくしろ!」と怒られたこともあったが、それ以前に、TIのマーケティング部門がHaggertyに対し、自社で実施した電卓に関する市場調査結果から「アメリカでは『ポケット電卓』なんて誰も求めてない」ことを忠言したからである。その忠言を無視したHaggertyが「とにかくポケット型電卓を作れ!」とKilbyに命じた結果がこの試作機なのだが…このあたりの顛末は1991年7月28日にNHK総合テレビで放送された『電子立国 日本の自叙伝 第4回 電卓戦争』で試作機の現物ともども紹介されている。
    なお、Kilbyは「IC(集積回路)の発明」で2000年にノーベル物理学賞を受賞したことでも有名だが、それ以前から、いわゆるKilby patentによる論争や訴訟を含め、生涯で60余の特許を取得したことで著名である。この試作機が完成後にも「サーマルプリンタ」と「電卓」で、共同発明者のひとりとしてアメリカで特許を出願し取得している(「サーマルプリンタ」は1968年9月26日に出願し1970年2月17日に取得、「電卓」は1972年12月21日に出願し1974年6月25日に取得)。また、試作機(とアメリカ合衆国特許商標庁に提出した特許出願書類)から、入力方式が加算器方式であることが判る。IC化するにあたり演算回路のフットプリントを極限まで小さくするには加算器方式が最適だったからだろう。
  5. 同種と互換性があると推定される普通ロール紙と2色インクリボンはカシオも販売している(普通ロール紙はRP-5860-TW、2色インクリボンはRB-02-A)が、ある程度まとめて購入すると、輸送費込みでもアメリカから購入するほうが安い。これは単純に現在の日米での需要の差によるもので、日本ではほぼ需要が無くなりつつあるものの、アメリカではサラリーマンであっても納税は個人で確定申告せねばならず、その際に税務当局へ提出する証憑として、時間が経っても印字内容が消えない機械式プリンタには根強い人気があるからだ。
  6. 『OPTION 001』は後からでも購入できたようで、HPのフィールドエンジニア向けドキュメントである「MODEL 46 AND 81 CALCULATOR SERVICE MANUAL (00046-90031)」では、「A4ファザーボード(00046-69540)」を「A5ドーターボード(00046-69541)」と交換できる旨の記載がある。