HP-55

提供:Memorandum

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1975年1月1日〜1977年1月3日に販売された科学・数学向けRPN関数電卓で、第一世代であるClassicシリーズの最終モデルである。コードネームはMerlin (アーサー王伝説に登場する神話上の人物で魔術師)

なお、HP-35から始まるClassicシリーズ全機種は、筐体の金型を流用しているため外形が殆ど変わらず、これにより、バッテリパック(HP 82001A/B)とACアダプタ(HP 82002A/B/C)も全機種共通である。

HP-65の廉価版

もし彼らが喋るとしたら、己の不遇を託つであろう機種が2つある。HP-34Cと本機だ。

本機はClassicシリーズの殿を任せられたものの、その中身は、前年に発売されたHP-65に劣る。優っている点は「HP-45で隠しコマンド状態だったもののバレで好評だった『時計・ストップウォッチ機能』を、水晶発振子も実装し正確な計時が可能な、正式な機能として公開した」のと「プログラミングで行番号を表示するようになった(ことで編集しやすくなった)」ぐらいなものだ。

それ以外はHP-65の廉価版といった趣のスペックである。プログラム可能な行数は100行から49行に半減され、そのソースコードを保存する磁気カードリーダライタも省かれた。これにより定価はHP-65の半値以下となる395ドルと抑えられたものの、このスペックが災いし、市場からの反応は薄いどころか「コレジャナイ」扱いを受ける有様で、製品寿命もHP製電卓史上2位の短さとなる丸2年と2日で尽きている。最後は60ドル値下げされ335ドルで叩き売られた。

なぜなら、入力したプログラムのソースコードを記憶するRAMが揮発性メモリであり、電源を切れば綺麗さっぱり消去される仕様だからだ。これは当時の半導体技術で不揮発性RAMを作ろうとうすると異常に高価となり電力消費も莫大となるためで、Classicシリーズと、次世代であるWoodstockシリーズでは全機種共通のハードウェア仕様となる。だからこそHP-65は磁気カードリーダライタを内蔵したのだ。

これを踏まえると、磁気カードリーダライタを省いてしまった本機で、気合を入れてプログラミングしようとは思わないだろう。本機のプログラミング機能は、あくまで、その場その場で使い捨てのソースコードを入力して使用するものとならざるを得ない。データ用レジスタはHP-65の倍が確保されているが、果たしてそこまで本機を使い込んだユーザが居たのかも怪しい。

「なんで磁気カードリーダライタを省いちまったんだよ…」

本機は己の身を呪ったに違いない。

HP-25開発の練習台?

関数電卓のようなコンピュータ製品で、あるシリーズの最後を飾る機種が発売されるとなれば、ユーザはその機種に「そのシリーズでの利点を伸ばし、欠点を無くした、シリーズの集大成となる、機能山盛りの豪奢なもの」を期待し、メーカもそれに応えようとするのが一般的だ。HP製RPN電卓でいえばHP-41シリーズHP-48シリーズが典型例である。しかし、本機はその正反対を行ったも同然な、中途半端でショボいスペックで仕上がってしまい、Classicシリーズを尻切れ蜻蛉にしてしまった。

ではなぜHPは本機のスペックをこんなにショボくしたのか⸺実装された関数や機能がほぼ同じであることから、「次世代であるWoodstockシリーズで唯一のプログラミングRPN関数電卓HP-25を開発する練習台として企画・製造・販売したのでは?」と愚考している。

HP-25とその後継機種であるHP-25Cは、歴代のHP製RPN関数電卓史上最小筐体のプログラマブル機種だ。これを可能にしたのが、HP-25でも記載した、演算回路(A&R)・制御回路(C&T)・二相クロックドライバの3個を1チップに収めたマイクロプロセッサであるACT(Arithmetic, Control and Timing)の開発成功である。これにより実装するLSIの数を減らし、消費電力を抑え、延いては製品価格の低減を狙ったのだが、このとき同時に「過剰なまでの」筐体の小型化も目指したようだ。Classicシリーズでは7〜8個必要だったLSIを5個以下にできることから来た発想なのだろう。

そこで、当時実用化されていたpMOS ROMで内蔵できる関数や機能がどの程度なのかを調べる目的だったように思える。「最小の筐体にプログラマブル関数電卓を実装しようとすると、どこまでの機能を盛り込めるか。技術的な検証をしたい」、「我々が考える関数や機能を、ユーザは欲しているか。市場調査をしたい」、この2点を探る観測気球の役割を本機に与えたように見えて仕方無い。

結局、HP-25HP-25Cでは、『時計・ストップウォッチ機能』以外で本機に実装された機能が採用されることになった。水晶発振子は高価で場所を取ることから省かれたのだろう。尤も、電源回りで致命的なハードウェア設計ミスを犯したため、現在から眺めると、Woodstockシリーズが成功したとは言い難いのだが。

いずれにしろ、それまでHP製RPN電卓のラインナップを見てきた購入者層からは、本機のスペックが中途半端だと判断された。一大旋風を巻き起こしたHP-65と比較されては歯が立たない。通常の四則演算は当然として、内蔵している各種関数を使用した演算性能そのものは現代でも通用する精確さがあるだけに、非常に勿体無い。

このような状況なので、eBayをはじめとする中古市場やオークションサイトに本機が出品されることは稀で、比較的多量に出品されるHP-65を100とすれば、HP-45は20〜30ぐらいだが、本機は1〜2といったところだ。それほどまでに当時は人気が無かったうえ、それ故、出品しようにもタマが無いと想像される。管理人はeBayで本機の完動美品が開始値100ドルのオークション形式で出品されているのを偶々見つけ入札したが、碌に競ることもなく(入札者は管理人含め僅か4名)、たった116ドルで落札できてしまった[1]1台のみ所有しているが、この事実だけでも本機に悲哀を感じずには居られない。

スタック 3+1段
プロセッサクロック周波数 200kHz (Classic)
使用電池 HP 82001A/B (3.6V 450mAh/900mAh 充電池:中身は単3形Ni-Cd充電池×3個直列)
製造期間 1975年〜1977年
製造国 アメリカ、シンガポール
1975年発売当時の定価 395ドル (約118,500円)

脚注

  1. HP製RPN関数電卓の「完動」「美品」がオークション形式で出品されると、通常は世界中から20〜30名が締切時刻1分前あたりからドドドドッと入札し、少なくとも開始値の倍ぐらいまで落札価格が釣り上がる。よって、eBayで落札するには「締切時刻数秒前に、己に悔いが残らない最大金額で入札する」必要があり、本機のオークションでもこれに倣って入札したのだが、本機の落札価格の低さには、思わず「えっ」と声が出た。