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HP-48GX

提供: Memorandum

1993年6月1日〜2003年3月30日に販売された汎用RPL上級グラフィックプログラム関数電卓。HP-48SXの直接の後継機で、コードネームはHammer (メロヴィング朝フランク王国の宮宰だったカール・マルテルの別称)である。型名にXが付いていることから判るように、本機背面には拡張カードスロットを2口装備している。同日に兄弟機種として拡張カードスロットが無いHP-48Gも発売された。この2機種にHP-48SX/HP-48S/HP-48G+の計5機種でHP-48シリーズを構成し、すべてでRPL(と階層化メニュー)を採用している。

HP-48SXと較べ、マイクロプロセッサのクロック周波数は4MHzに倍速クロックアップ、RAMは128kBに4倍増、内蔵関数も500以上増やしたことで、「これ以上を関数電卓に求めるのは酷だ」と言わんばかりの超高機能数値解析コンピュータへ進化したが、価格はHP-48SXと同額に据え置かれ、HP-48SXと入れ替わる形で9年9ヶ月もの間製造・販売された。操作体系はHP-48SXと変わらないよう配慮されているものの、内蔵関数が増えたことで階層化メニューも深くなり、関数の入力や設定の手数が増えている。例えば本機で 253! を演算させるには 2 5 3 MTH NXT PROB  ! HP-48SXより1ステップ多くキーインする必要がある。製造年によりドットマトリクス液晶ディスプレイが代わっていることも知られており、当初からの大半は明表示が青色のパネルだったが、時期は不明なものの終盤の少数は明表示が黒色のパネルに変更されている。

マニュアルもHP-48SXより更に分厚くなり、附属マニュアルとしては全612ページのUser's Guideが同梱されたが、実際にはこれだけでは足りず、プログラミング方法と実装されたコマンドの詳細を知るには、別売マニュアルである全764ページのAdvanced User's Reference Manualを購入する必要があった。即ち、本機の全貌を把握し使い込むには全1,376ページに及ぶマニュアルを読破しなければならない。HP-48SX同様、本機もRPLで演算環境が実装・構築されており、その体系をユーザに余すことなく伝えるにはそれだけの紙幅が必要だったのだ。

最後の徒花

しかし、ここまで超高機能に仕上がった本機が「爆発的に売れた」とか「製造復活を熱望されている」という話は聞かない。せいぜい、電卓はRPNしか使えない体になってしまった管理人のような者が購入する程度に留まり、結果として、HPが自社で開発・製造したRPN関数電卓は本機が最後となった。

その理由はいくつかあるが、最大の理由は関数電卓を取り巻く環境の変化である。本機が発売された1993年は、IBM PC互換機(DOS/V機)が登場してパーソナルコンピュータ(PC)の価格破壊が進み、インターネットが一般ユーザにも開放されたことで商用ISPが登場、サービス提供を開始した年であり、HP-48SXを発売した時とは大きく異なる。それまでであれば関数電卓を最も使い込むユーザ層であろうハッカーやエンジニアを中心に急速にPCとグローバルリーチャビリティが普及し、オープンソースによるOSや数値解析プログラミング言語のコンパイラが比較的簡単に入手できるようになったことで、関数電卓に内蔵されてない関数や任意の演算アルゴリズムを、関数電卓以上の演算速度で、関数電卓と同等以上の演算精度を持つ演算結果が、関数電卓を最も使い込むユーザ自身が所有するPCで得られるようになり、関数電卓を購入する必要性が無くなったのだ。管理人は大学2年生だった1995年の秋(後期)にPC-9801シリーズからDOS/Vシリーズに乗り換えたが、1991年に購入したPC-9801シリーズと較べて、購入価格は半減し、CPUクロック周波数と内蔵メモリは10倍に増えた。通っていた私立理系単科大学は、情報系学科の講義・演習用にFreeBSDで構築されたワークステーションが整然と並ぶ計算機室が5室整備されており、これらが講義や演習で使われていない時間帯は、事前に利用講習を受講しログインIDを発行された学生であれば所属学科を問わず自由に利用できた。管理人が大学に入学した1994年春、初めてインターネット(WWWとFTPとE-mail)とFORTRAN 77CLaTeXに触れたのも、これら計算機室であった。進級する条件として単位取得が必修であった工学実験で課されるレポートも、それまでは、実験で得られた数値に数式を適用する際は関数電卓で演算、その結果を方眼紙/片対数方眼紙/両対数方眼紙上に点で打ち、それら点同士を自在定規雲形定規で結ぶことで曲線グラフを手描き[1]したが、比較的若い教員が担当する科目から順に、PCでの演算やシミュレーションを前提として、数値演算も曲線グラフ描画もPCで出力させる内容へ差し替えられていった。これにより一部の同級生が「過去レポが通用しなくなった」と嘆いていたのを覚えている[2]。本機が発売された1990年代中盤はまさに、個人による数値演算の主役が関数電卓からPCへ移行する過渡期にあたり、しかもこの変化は不可逆であった。

もう1つの理由は、アメリカ国内の電卓市場におけるHPのマーケット・シェア低下である。別ページでも記した通り、アメリカの電卓市場は初等および中等の数学教育がキャスティング・ボートを握っており、電卓メーカの売上げも大半がここからとなるため、製品開発のターゲットは自然と中高生(と中高生に教える教師)になる。ライバルであるTIは徹底的なまでに中高生とアメリカの数学教育に適合した安価な機種を開発・販売し続けることで「電卓=TI」と刷り込み、その中高生が社会に出て働き始め電卓を買う際にもTIを選択するように仕向ける[3]という、ファストフードチェーンの日本マクドナルドに似た長期戦略がこの頃に結実し、アメリカ国内の電卓市場におけるマーケット・シェアの90%以上を獲得するに至った。当然、数学教育以外の分野向け製品についてもTIはHPの動向を窺っており、HPが本機を発売した年の対抗機種であるTI-82は本機を圧倒する高性能機に仕上がった。これは、HPが、信頼と実績と伝統から、HP-35から本機に至るまで、電卓に採用するCPUアーキテクチャを「自社開発の4ビットシリアルマイクロプロセッサ」から頑として変えなかったことからハードウェアの高性能化に遅れを取ると同時に高コスト化に喘いでいたのに対し、TIは、こだわりも節操も無く、Z80MC68kARMなど、そのときに最適で低コストなCPUアーキテクチャを選択し、その中で可能な範囲で容易にハードウェアを高性能化できたことが大きい。その結果、同じ販売価格で純粋にハードウェアスペックを比較するとTIが勝ることと、世の大勢はRPNに思い入れやこだわりが無いことから、ますますTIのシェアが上がっていった。RPNの優位性を積極的に説かなかったHPにも責任はあろう。

最後の理由は、ハードウェアとソフトウェアのアンバランスさである。そもそも本機はグラフの描画が「可能なものの常用するには厳しい」ほど処理が遅いどころか、特に拡張カードスロットに何かしらのアプリケーションカードを装着していると秒間3回以上連続してキーインできない(ユーザからの入力を零す)ことすらある。何かしらキーインする度に、内蔵および拡張カードスロットに装着したアプリケーションソフトウェアから認識した関数を木構造を辿って探索していて、しかもその間はキーバッファが機能しない[4]からだ。当然、キーインされた数値/文字/命令に応じて探索結果は絞られていくのだが、キーインの入力速度より関数の探索速度が遅ければ、ハードウェアリソースがソフトウェアによる関数の探索に引っ張られ(遅い処理に律速され)、キーバッファを準備する処理が実行されず[4]、ユーザからのキーインを零すことになる。端的に言えば、アプリケーションカードを装着した状態の本機は、CPUクロック周波数とメモリ量と内部バス速度が不整合な状態[5]に陥っている。HP-48SXではこの事象が発生しないため、HP-48SXから500以上の関数を追加実装した時点で、関数の探索速度が既に常時最速のまま張り付いている状態なのだろう。言い換えると、アプリケーションカードを装着した状態での性能試験を実施しなかったと考えられる。もし実施していれば、アプリケーションカードを装着したときは「探索速度を上げる」か「探索方法を変える」か「探索対象を絞る」か、いずれかの対策を打たねばならないと判断できよう。いずれにしろ、ハードウェアとソフトウェアがまったく噛み合ってない本機は、超高機能だが超高性能ではない、残念な機種と言わざるを得ない。この状況を回避するには、気長に、ひと呼吸置いてキーインすれば良いだけなのだが、それまでの他機種では難無くできたことができないのはストレスになるもので、これまでのHP製関数電卓と同じ感覚でキーインすると苛々させられる。故に、管理人が日頃常用する機種は、本機の遠い祖先であるHP-41CXとなり、本機を「最後の徒花」と難じている。

現在からこれら3つの理由を俯瞰すると、管理人の眼には「本機がTI-82に負けた時点で、HPは、電卓市場での積極的な事業展開を諦めた」ように映ってしまう。ひょっとすると、この時点で電卓事業部門が大幅に縮小されたのかもしれない。一応、2002年中に発売する予定で、TIの独擅場である初等および中等の数学教育市場に特化したXpanderを開発していたものの、先述したように一般ユーザ向けは本機が最後で、後継機を開発していた話を聞かないからだ。そしてこのXpanderも、HPの経営陣が2001年末で電卓事業からの撤退と事業部門の閉鎖を決断したことを受け、製造開始数ヶ月前である2001年11月に社内プロセスのすべてがキャンセルされ「幻の機種」となってしまった[6]。ちなみに、XpanderのCPUには従来の自社製4ビットシリアルマイクロプロセッサではなく日立製SH-3が、OSには自社のRPLではなくWindows CE 3.0が、ぞれぞれ採用され、関数電卓やプログラミング環境はWindows CE 3.0で動く個別のアプリケーションソフトウェアとしてインストールされる形態を取り、ハードウェアとしてテンキーのキーボードは実装したものの、アプリケーションソフトウェアの操作体系は液晶ディスプレイをスタイラスペンでなぞる方法を主とした。そのため、この当時ですら「これは『グラフィックプログラム関数電卓』ではなく『高価で中途半端なPDA』だ」「中高生の乱暴な取扱いに液晶ディスプレイが持ち堪えるとは思えない」など散々な言われようで、もし発売したとしても、HPの目論見通りに売れたかどうかは怪しい。なお、その後、Xpander用に開発したWindows CE 3.0上で動く関数電卓アプリケーションソフトは、ノンサポートの単体ソフトウェアとして無償で開放された。「せっかく開発したのに、そのまま廃棄(削除)するのは勿体無い。だが、電卓事業から撤退した以上、このソフトのサポートやバグ対応に人員を割くことはできない」⸺当時のHPの良心と社内事情がそのまま表出したような対応である。

さらば、RPN電卓

こうしてHPの電卓事業はジリ貧状態に突入し、2001年末に撤退するニュースが世界を駆け巡ったのは先述の通りだ。しかもこのときのHPのCEOがCarly Fiorinaだったという凶運も重なり、撤退方法に「電卓事業部門を丸ごと閉鎖、従業員は全員解雇」が選択されてしまった。この選択は、世界中のRPN電卓マニアを驚愕させもしたが、同時に憤怒と悲嘆の情をも抱かせた。「RPN電卓の33年の歴史が強引に幕引きさせられた」「なぜ電卓事業を他社へ譲渡もしくは売却しなかったのか」「もうRPN電卓は買えないのか」。

間髪を置かず、その情は「さらば、RPN電卓」「最後にRPN電卓を買おう」と怒涛の勢いで本機を含む4機種のRPN電卓の流通在庫を買い漁らせ、瞬く間に世界中の電卓売り場から一掃された。2001年末当時のHPの関数電卓ラインナップでRPNを採用していたのが、HP-15Cの後継機種とされるHP-32SII[7]と、HP-48シリーズの本機/HP-48G/HP-48G+の4機種しか無かった[8]からである。

あれから二十余年。eBayをはじめとする中古市場やオークションサイトにはHP-48SXともども出品数は多く、入手するのは比較的容易だ。特に本機は新品未開封のまま出品されることが多いのも特長だろう。これは、現在も本機を数値演算のメインで常用しているユーザが減り、RPN関数電卓とはどういう製品だったか、それを保存するという意味で購入・所有するマニアが大半だったことと、本機のエミュレータがWindows向け/Linux向け/Android向け/iOS向け/その他OS向け問わず山ほど出回っていることも影響していると思われる。


なお、本機特有の事象として、経年により ON キーを押下しただけでは電源が入らないことがある。もしこの事象に遭遇したら、キーボード最上部にあるファンクションキーの B と C の中点から液晶ディスプレイの下部へ向かい垂線を1cm伸ばした点を軽く押しながら ON キーを押下すれば、電源を入れることができる。

また、本機はシンガポールとインドネシアで製造されたが、一部のヘヴィユーザから「1996年以前のシンガポール製のほうが耐静電気性能が高い」と評されているものの、真偽は不明である。管理人は両国製を所有しているが、有意な差を見出せていない。

tan355226 [rad]=7497089.06508 (εR=2.26×105)

(ln884736744π)2=43.0000000000

スタック 無制限 (内蔵メモリが許すまで)
プロセッサクロック周波数 4MHz (Yorke 00048-80063)
使用電池 単4形×3本
製造期間 1993年〜2003年
製造国 シンガポール (〜1996年) → インドネシア (1997年〜)
1993年発売時の定価 350ドル (約39,000円)

脚注

  1. 機械系や建築系は当然だが、電気(強電)系でも電子(弱電)系でも、ましてや情報系でも、1990年代前半に工学部に居た大学生なら学科を問わず、一通りの製図用具を購入させられた。当時はPCを所有している学生のほうが少ないうえ、卒業後に就職した企業が社員全員にPCを与えるわけではない時代でもあったため、職業訓練の一環としても「曲線グラフを手描きする技能」の習得が求められたからだ。管理人は工学部電子工学科を卒業したが、弱電系の学生ですら、2D CADで作図しX-Yプロッタで出力させる製図と、ドラフタ製図ペンで手描きする製図の授業が、4年生へ進級する条件として単位取得が必修だった頃の話である。
  2. 管理人が受験生だった1990年代前半、私立大学の入学試験で、各大学が独自に作問して課す試験(一般入試)だけではなく、大学入試センター試験(セ試)の結果を利用できるようになり、これらを並行して実施することが流行り始めた。しかも後者では「受験生が大学に申し出る『合否判定に使用して欲しい科目』は、セ試で受験したどの科目を選択しても良い=一般入試では必須の科目を選択しなくても良い」とする大学もあった。本来はその大学にどうしても入学したい受験生が一般入試で失敗した際の救済策(故にセ試の結果に自信がある受験生が出願するため高倍率)なのだが、この脆弱性を突いて、高校で数学Ⅱ(基礎解析/代数・幾何/微分・積分/確率・統計)/物理/化学を履修していない文系の受験生が、セ試(の自己採点)で高得点だった国語/英語Ⅰ・Ⅱ/日本史/世界史を『合否判定に使用して欲しい科目』に申し出て理系の大学に合格、なぜかそのまま入学してしまう椿事が出来し始めた。高校から理系の学生であれば数学Ⅱ/物理/化学について素養がある(からこそ入試で合格した)ため、学部レベルの必修の工学実験ごときで過去レポなんぞ不要で、担当する教授もそのように実験全体を構築しているのだが、この脆弱性を突いて入学した元・文系の学生は、まず実験の意義と内容の理解が追い付かず慌てていたのを何度も目撃している。尤も、通常の講義や試験の前後でも内容がまったく理解できず慌てていたのだが。なお、碌に単位が取れてないことで有名だった、顔と名字は知っているものの話したことはないその同級生が卒業できたか否かは把握していない。
  3. これは教師の側にも言える。もし関数電卓のメーカを変えると操作方法も変わるため、教師もそれを学習し直す必要があるが、教師はそれを面倒臭がり、自分の生徒にはTIの関数電卓を購入するよう勧める…このサイクルは現在に至るまでアメリカの初等教育現場で延々と続いており、HPが気付いたときにはこの牙城を崩すのが難しいと判断、最終的には電卓事業そのものから(一旦)撤退となった。なお、なぜ教師が操作方法の学習し直しを面倒臭がったかと言えば、TIの電卓は中置記法であり、HPのRPN関数電卓を採用するには概念を変える必要があるからだ。
  4. 4.0 4.1 HP-46で触れたHP-81には、このような事態が発生することを見越してキーバッファが別売オプションとして用意されており、希望するユーザは有償で装着・内蔵できた(「バッファアセンブリ(00081-66542)」と「バッファ表示アセンブリ(00081-66543)」)。事前に性能試験を実施したからこその対応だ。
  5. 本文冒頭に記載した通り、本機はHP-48SXと較べ、マイクロプロセッサのクロック周波数は4MHzに倍速クロックアップ、RAMは4倍増の128kBあるが、内部バス速度は変更ナシと推定される。また一般に、拡張カードスロットに装着するアプリケーションカードで採用されているフラッシュメモリはアクセス速度が低い。いくら回転が速く記憶量が多い脳を持っていても、それらを繋ぐ神経が細く鈍いのでは、情報を処理する時間より、欲しい情報/処理した情報が届くのを待つ時間が長くなる。よって、脳は正常だが、他者からの問い掛けに対する反応が遅くなり、「とろいぞ!」と言われる…これと同じだ。足を引っ張っているのは内部バスとフラッシュメモリではなかろうか。
  6. 「幻の機種」であるにもかかわらず、極稀に、1,000ドルを優に超える価格でeBayに出品されているのを見掛けることがある。しかし、これが落札されたのを見掛けたことはない。OSがWindows CE 3.0であるが故、入手しても碌に使えないだろうことが容易に想像できるからだ。いくら変わり者が多いRPN電卓マニアでも、落札したとて「飾る」か「保存する」かしか選択肢がない機種に1,000ドル以上を払う奇矯な人は居ない。特長でも記載した通り、HP製RPN電卓は「異常に堅牢な造作」ゆえに「故障せず長期間使える」ことが最大の利点であり、多少の高値が許される理由である。そこを履き違えられてもね…ということだ。
  7. 製品の並びとしては確かに、1991年3月1日に70ドルで販売開始となったHP-32SIIは、1989年1月1日で販売終了となったHP-15Cの後継と位置付けられるが、その割にはHP-15Cより機能が削られたり縮小されたりしている。HP-15Cでは行列が演算できるうえ、複素数演算状態に設定するとスタックが実部用と虚部用に2列並行するように倍増することで複素数でも最大4組積めるため、実数演算時と同じ感覚で複素数を扱うことができるが、HP-32SIIでは行列が演算できず、複素数は1組の実部と虚部でスタックを2段消費してしまうため2組しか積めない。そのためRPN電卓マニアはHP-32SIIについて、HP-15Cの大人気振りとHP-34Cの不人気振りから「『HP-15Cから機能を削った』のではなく『HP-34Cに(複素数演算)機能を(中途半端に)追加した』機種だよ」と皮肉るが、その指摘は正鵠を得ており、なぜHPが先発機種で好評だった機能を後継機種で削ったり縮小したりと改悪したのか、その理由が傍目には理解不能である。HP-15CHP-32SIIの間には8年半もの歳月があり、その間に起きた半導体技術の進歩と価格の暴落を考慮すれば、わざわざ機能を削ったり縮小したりする理由が見当らないため尚更である。ちなみに、HP-32SIIに実装された、Saturnマイクロプロセッサを内包するワンチップLSIはNEC製である。
  8. 厳密にはHP-49Gもあるが、これのデフォルトの入力方法は中置記法で、RPNで入力するには、電池を入れ替える度に「RPNモード」に設定変更する必要がある。即ち、HP-49GではRPNがオマケ機能の扱いであるため、今回のようにRPN電卓に含めない場合が結構ある。この〝迷い〟や〝ブレ〟は、同じ仕様であるHP-35sについて触れる際にも見られる。なお、管理人は、HP-49GHP-35sをRPN電卓に含めていない。